るりの創作部屋

創作のための格納庫

小さい頃の夢

幼稚園時代の将来の夢はパン屋さんだった。
将来の夢のイラストをマジックペンで透明なフィルムに描き、プロジェクターでお遊戯室の壁に投影して、
「私は大きくなったら、パン屋さんになりたいです」
と大勢の前で発表していた。
メロンパンや食パンをイラストに描いていた記憶がある。

 

当時よく行く近所のパン屋が大好きだった。
買うパンはいつも決まってアップルレーズンパイだったけど、
一つ一つ丹精込めて作られたパンがおしゃれにズラッと並ぶあの空間がたまらなく好きだった。

 

その「将来の夢」を可愛らしく一生懸命描いた幼稚園時代の私に母親はケチをつけた。
「パン屋なんて大変な仕事だよ。重いものを運ぶし体力もいる。起きるのが朝4時とかだよ。朝早くに起きられないんだから無理でしょ」
私がパン屋を目指すのがなぜ無理なのかをクドクドと指摘してきた。

 

母を疑うことを知らないピュアで真っ直ぐな私は
「そうか、無理なのか。そんなこと書いちゃいけなかったのか」
とショックを受ける。

 

パン屋さんになりたいという夢を幼稚園時代に完全否定されてしまった当時の気持ちを、
大人になるまで封印していた。

数年前、私はパン屋の雰囲気からとんでもなく癒しをもらっていることに気付いた。
幼い頃の憧れがパン屋、というのは理にかなっていたのだ。

 

そのパン屋は潰れてしまったが、幼い頃に見た光景はすごく印象に残っている。
レジの近くから厨房を覗いてみると、
焼きたてのパンが大量にベーカリーラックに載せられて、
冷めるのを待っている。
店の中は焼きたてのパンのいい匂いが充満している。
店の中を歩くといつも食べるパン以外にもおしゃれな形のパンがたくさんある。
色々な種類のパンが綺麗に陳列されているのも、手作りで一つ一つ少し形に個性があるところも、
トレーを取ってパンを選ぶ楽しみも、そのパンが店員さんに鮮やかに袋詰めされていく様子も、
その買ったパンを持ち帰る時の和やかな気持ちも
パン屋の建物のレトロでおしゃれな雰囲気も私の宝物だったのだ。

 

母親は小さい頃にパン屋に連れていってもらったことはなかったのだと思う。
彼女は何より、周りを見返すためや自分が楽をするために、
どの子も医者にしたくて仕方なかった。
子供に稼がせてサボるつもりだったのだろう。
自分がうまく社会に溶け込めずに挫折した夢の続きを子供を使ってどんなことがあろうとも叶えようとした。
物心がついた頃から「医者になれ、有名国公立大学に入れ」という話ばかりされ、
母親に反発していた時期もあったが、結局は人生に疲れてしまった。
自分の夢やなりたいものは大人になった今でもよくわからない。

 

思春期ごろなりたかったものは作家、カウンセラー、家庭裁判所関係の仕事。
とにかく毒親から自分も救われたかったし、同じように困っている他の誰かを助けるしかないと思っていた。

 

どれにもなれていないけど、
私は小さなパン屋やお菓子屋に入って悩みに悩んで商品を買うことがすごく好きだし、
自分に関するアウトプットは常にしていないと気が済まない。
とうとう創作で弁護士だって登場させようとしている。
私がかつてなりたかったものや興味のあることって自分で意外と納得できるなと思う。
全てが急に巡り巡ってきたことが不思議だ。

 

先日、パン作り体験をしに行った。
結論から言うと、パン作りに縁がないあまり器用ではない人間がいきなり行っても家で再現はできないが、
全ての工程がわからなかったわけではなかった。

 

私は最初に材料を混ぜて生地を休ませた後、
台に何度か生地を叩きつける工程がけっこう好きだった。
これは、膨らませるときに余分なガスを抜く工程だ。
一次発酵に関わる工程のはず。

 

うまくたたきつけないとガスは抜けないし、
触りすぎると生地がベタベタになってしまう。
少しコツが掴めてきたかなというところで工程が終了した。

 

不器用なりに昔よりは頑張れるようになったなという印象だ。

 

パン作り体験の予約をしている時に昔のことをまた思い出した。
あの思い出のパン屋は、
幼稚園の帰りに母親に連れられて行ったことが何度かあった。
幼稚園帰りは公園にも行っていたはずだから、パン屋に寄ったのは公園に行った帰りかもしれない。

 

母親に幼稚園児の「将来の夢」を喜んでもらえなかったことで、
本当にその頃何を楽しみにしていたかの記憶を封印していたので、
記憶が蘇るのは嬉しかった。

 

小さなあなたが好きなもの、今の私も大好きだよ。